「SNSの友達削除ルール」の理由
「友達削除される前に、伝えてほしかったです。でも、自分はそれだけあなたを傷つけたってことなんですね」
少し前に、"SNSの友達から削除したけども、そのことに気づいていない人"から普通にメッセージが送られてきて、どうしたもんかなー、と考えてから、
実は君のこと、友達削除したのよ。
と伝えたら、上記メッセージが返ってきた。
以下記事に書いたように、
「エンジニアなんて、いくらでもいるんだから」発言をした人に関しては、
少なくとも私は、あなた達に私の価値を提供しない、という意思表示として、
問答無用でFacebookの友達から削除するルールを運用している。
【AI×仕事の考察】<A面>仕事をAIに代替されうる人間視点の話
が、まぁ自分が友達削除された側だったら、上述の彼と同じように
「私に思うところがあるなら、友達削除する前に伝えてほしかった」
と思うかもなー、
と思ったので、彼には「なぜ友達削除行為を選択したのか」について、きちんと説明することにした。
先述の「エンジニアなんていくらでもいるんだから」発言以外にも、
私には、いくつかの「これを言ったりやったりした人は、SNSの友達から削除する」と決めているルールがあり、友達削除した人は、この5年で10人くらいいる。
私の「SNSの友達から削除」行為を、
傷ついたが故の行為だとか、地雷ポイントを踏んだが故の行為だとか捉える人は多いけれど、
私の友達削除ルールに、
傷つきゲージや、怒りゲージは関係ない。
まぁ、少なからず怒るところがあるから友達削除してるんだけど、ゲージは関係ない。
誰かと何かがあって、傷つきゲージや怒りゲージがMAXに達したとしても、
それを言葉できちんと伝えて、関係の改善を試みることもちゃんとある。
言葉で伝えることを試みるかどうかの基準は、
私にとって思うところのあった相手の言動なり行動の原因が、
「知らないこと」が原因であり、
そして、その「知らないこと」が言語コミュニケーションによって解消しうる程度のものであるかどうかだ。
上述の彼にしても、「エンジニアなんていくらでもいるんだから」発言した人にしても、
私が「この人とは敬意を払い合った信頼の関係を結べない」と判断した行為の原因は、
広い意味で言えば「知らないこと」であるが、
その「知らないこと」は、経験の欠如からくるものであり、
言語コミュニケーション程度で、たやすく補えるものではない。
人間同士のコミュニケーションでは、
「互いの考えや想いを言葉で伝えあうこと」
が良しとされているし、私自身、長年ずっとそう思ってきた。
だけど、少し前に気づいた。
「思うところを伝える」という行為には、
「落としどころを求める」という行為がついてきてしまうのだ。
「思うところを伝える」という行為の後には、
伝えた相手にも、伝えられた相手にも、気持ち悪さがある。
だから、その気持ち悪さを解消するために、互いに何らかの落としどころを探すのだ。
そうして、本当には伝わっていないのに、何となく伝え合った気持ちになったり、どこかもやもやを抱えているのに、決着のついたことにしてしまう。
だから私は、
「”今”の相手には、どれだけ言葉を尽くしても伝わらない」
そう思ったなら、
伝えようとする行為を試みることで満足したり、
本当はわだかまりを抱えているのに、表面的なお友達付き合いを続けることよりも、
少々乱暴かもしれないけれど、SNSの友達削除という手段で「今のあなたとは付き合えません」というメッセージを発することの方がコミュニケーションの形として健全だと思ったのだ。
「あれ?友達削除されてる! なんで!?」
という衝撃と疑問を相手に与えることの方が、活きたコミュニケーションだと思ったのだ。
SNSの友達なんて、1つ2つのクリックで、
簡単に、繋がったり、切れたりできるのだ。
人生も、人との関係も、私は長いスパンで考えている。
縁があるならば、またいつかどこかで出会う機会はあり、
その時に、それぞれの経験を積んで変化しあった互いを確認しあって、少しの気恥ずかしさと共に、また繋がりましょう、なんてことになるかもしれない。
そういう人間関係の方が、私には素敵なもののように思うのだ。
上述の彼に、「彼の何を私が問題に感じたのか」は言わなかったけど、
こういったことを伝えたら、きちんと理解を示してくれた。