「SNSの友達削除ルール」の理由

2025-03-06

「友達削除される前に、伝えてほしかったです。でも、自分はそれだけあなたを傷つけたってことなんですね」

少し前に、"SNSの友達から削除したけども、そのことに気づいていない人"から普通にメッセージが送られてきて、どうしたもんかなー、と考えてから、

実は君のこと、友達削除したのよ。

と伝えたら、上記メッセージが返ってきた。

 

以下記事に書いたように、

「エンジニアなんて、いくらでもいるんだから」発言をした人に関しては、

少なくとも私は、あなた達に私の価値を提供しない、という意思表示として、

問答無用でFacebookの友達から削除するルールを運用している。

【AI×仕事の考察】<A面>仕事をAIに代替されうる人間視点の話

 

が、まぁ自分が友達削除された側だったら、上述の彼と同じように

「私に思うところがあるなら、友達削除する前に伝えてほしかった」

と思うかもなー、

と思ったので、彼には「なぜ友達削除行為を選択したのか」について、きちんと説明することにした。

 

先述の「エンジニアなんていくらでもいるんだから」発言以外にも、

私には、いくつかの「これを言ったりやったりした人は、SNSの友達から削除する」と決めているルールがあり、友達削除した人は、この5年で10人くらいいる。

 

私の「SNSの友達から削除」行為を、

傷ついたが故の行為だとか、地雷ポイントを踏んだが故の行為だとか捉える人は多いけれど、

私の友達削除ルールに、

傷つきゲージや、怒りゲージは関係ない。

まぁ、少なからず怒るところがあるから友達削除してるんだけど、ゲージは関係ない。

 

誰かと何かがあって、傷つきゲージや怒りゲージがMAXに達したとしても、

それを言葉できちんと伝えて、関係の改善を試みることもちゃんとある。

言葉で伝えることを試みるかどうかの基準は、

私にとって思うところのあった相手の言動なり行動の原因が、

「知らないこと」が原因であり、

そして、その「知らないこと」が言語コミュニケーションによって解消しうる程度のものであるかどうかだ。

 

上述の彼にしても、「エンジニアなんていくらでもいるんだから」発言した人にしても、

私が「この人とは敬意を払い合った信頼の関係を結べない」と判断した行為の原因は、

広い意味で言えば「知らないこと」であるが、

その「知らないこと」は、経験の欠如からくるものであり、

言語コミュニケーション程度で、たやすく補えるものではない。

 

人間同士のコミュニケーションでは、

「互いの考えや想いを言葉で伝えあうこと」

が良しとされているし、私自身、長年ずっとそう思ってきた。

 

だけど、少し前に気づいた。

「思うところを伝える」という行為には、

「落としどころを求める」という行為がついてきてしまうのだ。

 

「思うところを伝える」という行為の後には、

伝えた相手にも、伝えられた相手にも、気持ち悪さがある。

だから、その気持ち悪さを解消するために、互いに何らかの落としどころを探すのだ。

そうして、本当には伝わっていないのに、何となく伝え合った気持ちになったり、どこかもやもやを抱えているのに、決着のついたことにしてしまう。

 

だから私は、

「”今”の相手には、どれだけ言葉を尽くしても伝わらない」

そう思ったなら、

伝えようとする行為を試みることで満足したり、

本当はわだかまりを抱えているのに、表面的なお友達付き合いを続けることよりも、

少々乱暴かもしれないけれど、SNSの友達削除という手段で「今のあなたとは付き合えません」というメッセージを発することの方がコミュニケーションの形として健全だと思ったのだ。

「あれ?友達削除されてる! なんで!?」

という衝撃と疑問を相手に与えることの方が、活きたコミュニケーションだと思ったのだ。

 

SNSの友達なんて、1つ2つのクリックで、

簡単に、繋がったり、切れたりできるのだ。

人生も、人との関係も、私は長いスパンで考えている。

縁があるならば、またいつかどこかで出会う機会はあり、

その時に、それぞれの経験を積んで変化しあった互いを確認しあって、少しの気恥ずかしさと共に、また繋がりましょう、なんてことになるかもしれない。

そういう人間関係の方が、私には素敵なもののように思うのだ。

 

上述の彼に、「彼の何を私が問題に感じたのか」は言わなかったけど、

こういったことを伝えたら、きちんと理解を示してくれた。