【AI×仕事の考察】<A面>仕事をAIに代替されうる人間視点の話
仕事柄か性格柄か、AI活用方法に関する情報は、そこそこにキャッチアップしている。
そして、
『エンジニアの仕事はAIに取って代わられるか!?』論争みたいなものについては、
以前書いた記事の冒頭にも書いたように、
「日曜大工レベルのスキルでビルが建てられるわけないだろうが」
と思っていた人間である。
ChatGPTを使ってプログラミングする時に必要な知識とスキル
しかし、ちょっと最近、
日曜大工レベルを超えてきたかもな…
と感じ始めている。
金銭的事情や、AIを扱える人材事情を考えると、
誰もかれもが日曜大工レベルを超えたAIを扱えるようになる日は、まだ遠いと思うし、
上記ブログの最後にも書いてある通り、
仮にAIのプログラミング能力が向上したとしても、
作るシステムを考えて、開発に必要なタスクを分解してAIに指示を出す役割だけは、
人間の仕事だろうなと、これは揺らぎ無く思っている。
ただ、AIの情報をキャッチアップする中で、
自分の頭の中に、ちらりと浮かんだ言葉に、自分自身でぎょっとした。
「私の仕事、AIに取って代わられるかな…? それとも、ぎりぎり逃げ切れるかな…?」
エンジニアというのは、言ってしまえば、自分たちの作るもので人間の仕事を奪ってきた人種である。
「システム化によって、立場の弱い労働者の仕事がなくなった」という記事は、昔からよく見かけるし、
「今日、システムを納品してきたら『これで私たちの仕事、なくなっちゃうんですね』って言われてさ…」
と肩を落とす同僚の声を実際に聞いたこともある。
だけど私は、そういった記事を読んだり、声を聞くたびに、
「システムというのは、人間が人間にしかできないことに集中するために、機械でできることを機械がやるようにするためのもので、人から仕事を奪う物じゃない」
「仕事というのは、世の中のニーズを見つけて、それに対して自分ができることを考えていくことでしょ?」
そう、歯がゆく思っていた。
なんなら、「システムに仕事を奪われる」という言葉を使う人たちを、「仕事の本質を理解していない人間」として蔑んでいた部分もあった。
だけど今、自分のエンジニアとしての仕事がAIによって代替可能になるかもしれない、とリアルに感じて、
「ぎりぎり逃げ切れるだろうか…?」なんて消極的な言葉が頭に浮かんだ自分の中に湧き出た恐怖感の正体というのは、
想像していた種類のものとはちょっと違ったのだな、と思った。
”自分が、それなりに誇りを持って積み上げてきたものを、
それのことをよく知らない人たちに軽んじられることに対する、恐れ、拒絶反応、拒否反応”
そういったものなのだな、と気づいた。
会社というしがらみにとらわれずに、まっすぐにオーバーヘッド少なく、価値のやり取りをしたい。
そう考えて、会社員でいることをやめて、色々な種類の人たちと関わるようになった私が最初にぶつかったのは、
「アプリって簡単に作れるんでしょ?」
「エンジニアなんて、いくらでもいるんだから、もっと別のことを仕事にした方がいいよ」
世の中には、こういう風に考えている人たちが、とてもとても多いという現実だった。
「これからは一人ひとりが輝く時代だよね。個々人の能力を活かすことが大事だよね」
なんてことを言っている人たちが、たやすく「エンジニアなんて、いくらでもいるんだから」なんてセリフを吐くのだ。
人間は、よく知らないもののことは、目に見えるものから推測する。
膨大な量のアプリが無料から数百円で並んでいるアプリストア、エンジニアの人口や年収相場…。
そういったものから測るのだ。
もちろん、だからといって、多いものや安いものを安直に軽んじる人ばかりではない。
きちんと自分なりに積み上げてきたもののある人たちは、
自分のよく知らないものならば、なおさら、その背後の見えないところにある労力に思いを馳せる。
知らないことが原因なのではない。
積み重ねの有無や、他者へ想いを馳せる能力の欠如、自分自身の生活が何によって成り立っているかを考えることのない傲慢さが原因なのだ。
そう考え至って以降は、
「エンジニアなんて、いくらでもいるんだから」発言をした人に関しては、
彼らのスマホやPCのアプリを全アンインストールしてやりたい衝動を抑えて、
代わりに問答無用でFacebookの友達から削除している。
少なくとも私は、あなた達に私の価値を提供しない、という意思表示として。
別に私ひとりに友達削除されたところで、彼らはさして困らないし、そもそも友達削除されたことに気づいていない人も多いけど、
「エンジニアのスキルはピンきりで、その中で自分は、そこそこには優秀な部類のエンジニアなのだ。目に見えるわかりやすい数字や肩書きでしか人を判断できない薄っぺらなド素人にはわからないでしょーけどっ」
と、あっかんべえするくらいの自負でもって友達削除してるのだ。
もしもシステムを作りたくなった時に、エンジニアなんて誰でも同じでしょ、と適当なエンジニアに声をかけてから痛い目に遭いやがれ、と思いながら。
だから、AIの進化スピードと、機械学習の原理と、自分の得意な領域の性質を照らし合わせて、
自分の得意領域をAIでも出来るようになるのも時間の問題だろうな、
と感じたときに自分を襲った恐怖というのは、
AIに仕事を奪われることそのものに対する恐怖ではなく、
こういった人たちに、私が積み重ねてきたものと同等の価値がたやすく提供されるようになる未来、
「エンジニアの仕事なんて、代替可能なんだから」
そんな彼らの言葉が肯定される未来への拒否感や嫌悪感だった。
別に私は、仕事をすることが目的の道具じゃないし、
AIの学習の礎に、自分たちの積み重ねがあることも知っているから、
「AIによって淘汰されない人材であるために…!」なんて考え方で、遮二無二なりたくない。
自分の今の仕事がAIに代替されるようになる世界が来たとしても、
そしたらそしたで、その世界で何かをやっているだろうと思う。
だけど、仕事をすることが目的の道具ではないからこそ、
生活の糧を得るためだけに積み重ねてきたわけではないものが軽んじられうる未来と、
その未来を想像して「何をやって生活の糧を得ようか…?」という考えがよぎることに対して、
激しい恐怖や拒否感を感じるのだ。
という自身の気づきが自分的に新鮮な発見だったので、
ここに書き残しておく。
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