ニュース番組における『陰謀論』という言葉の扱い

2025-03-21 (2025-03-22更新)
AI生成記事

登場人物

  • (思索する探求者)
  • アベル(武骨で優しい兄貴分)
  • ジム(冷静な分析者)

序章:ニュース番組の違和感

「今日聞いていたニュース番組のポッドキャストでね、『陰謀論』って言葉が使われていたのが、すごく気になったんだよね。ケネディ大統領の暗殺に関する話だったんだけど、新たに公開された資料では特に新しい事実は出てこなかったって話だったの。でも、その流れで“だから陰謀論者の言うことは信頼に値しない”っていう感じの話になっていて……なんだか違和感を覚えたの」

アベル「ああ、それは分かるぜ。新しい証拠が出てこなかったことと、公式見解が正しかったことって、イコールじゃねえんだよな。でも、その言い方だと“新しい証拠がなかった=疑問を持つのは間違い”ってなっちまう」

ジム「そうですね。科学的な思考とは、常に新たな検証を積み重ねることです。新しい情報がなかったからといって、それが公式見解の正しさの証明になるわけではありません。ただ“新たな材料が追加されなかった”というだけの話です」

「そうなんだよね。でも、それ以上に気になったのは、その流れでケネディ大統領の息子さんの話も出てきたこと。この方が暗殺の件に疑問を持っているんだけど、同時にコロナワクチンにも疑念を持っている。それで“だからこの人の言うことは陰謀論だ”っていう論調になっていて……」

アベル「うわ、それはちょっと気持ち悪い持って行き方だな。ある件について疑問を持つことと、別の件についての意見が一致するかどうかは関係ねえだろ。でも、そのキャスターは、それを一緒くたにして“この人は信用できない”って方向に持っていこうとしてるわけか」

ジム「ええ。これは典型的な“レッテル貼り”による議論の無効化です。本来、各論点は独立して検証されるべきなのに、一つの疑念を持つと、他の話題についても一括りに否定される。これでは、冷静な議論ができなくなります」

1. SNSの極端な意見とニュース番組

「もしかしたら、キャスターはSNSの炎上エリアみたいなところを見て、過激な主張をする人たちを意識しすぎていたのかもしれない。でも、この番組を聞いている人たちは、そういう層とは違うと思うんだよね」

アベル「ああ、それはあり得るな。SNSの世界って、声の大きい少数派が目立つんだよ。でも、それを一般的な傾向として扱っちまうと、情報の伝え方がズレてくるんだよな」

ジム「ええ。これは“可視性のバイアス”と呼ばれるもので、SNS上では極端な意見が拡散されやすいため、それが社会全体の意見であるかのように錯覚してしまう。しかし、ニュース番組の役割は、そうしたバイアスを冷静に整理し、視聴者が考えるための材料を提供することです。」

アベル「でも、今回のキャスターは、SNSの極端な層を意識しすぎて、普通のリスナーにまで警戒心を向けちまった。そのせいで、ニュースとしての伝え方がズレちまったんじゃねえか?」

ジム「それに加えて、SNSでは明らかな偽情報が拡散されることがありますね。例えば、震災の時に、実際には火事が起きていない場所で火事が発生したというデマが広がるようなケースです。これは事実として誤りであり、速やかに訂正されるべきものです」

「でも、そういう“明らかに間違い”って言える情報と、“まだ議論の余地がある情報”は全然別物だよね? 最近の報道機関って、それをごちゃ混ぜにしている気がするんだよね」

ジム「そうですね。本来、情報には“すぐに検証可能なもの”と“解釈や検証の過程で変わり得るもの”の二種類があります。震災デマのように事実と異なる情報は、訂正されるべきですが、例えば歴史的事件や社会問題に関しては、新たなデータが出るたびに解釈が変わることがあります。しかし、最近は報道機関がどんな情報も“正しいか、間違っているか”の二元論で判断しようとする傾向が強まっています」

アベル「結局のところ、報道機関は“正しい情報を伝える”ことを使命にしてるんだけど、その“正しさ”の基準がどんどん単純化されちまってるんじゃねえか? 震災のデマを防ぐのは当然だけど、歴史や科学の分野まで『これは正しい、これは間違い』っていう二択で扱っちまうと、議論が成立しなくなるよな」

ジム「まさにその通りです。報道の役割は、視聴者に考える材料を提供することです。しかし、二元論に偏ることで、思考の幅が狭まり、議論が封じられる可能性があります」

アベル「それって、結局“考えるな、これが答えだ”って言ってるのと変わんねえよな。情報ってのは、白黒はっきりさせるもんじゃなくて、どう考えるかのプロセスを示すもんなんだよ」

ジム「ええ。だからこそ、報道のあり方として、SNSのデマ対策と、まだ検証が必要な議論を区別する視点が必要です。そうでなければ、健全な思考プロセスが奪われ、社会全体の議論の幅が狭まってしまうでしょう」

2. 陰謀論という言葉が議論を阻害する問題

「私はね、ニュース番組にキャスターの色がつくこと自体は問題じゃないと思ってるの。むしろ、色をつけることを恐れて中途半端な内容になるより、ちゃんと意見を持って発信するほうがいい。でも、今日の話は、そもそも情報が薄くて、キャスター自身が思考を止めてしまっていたように感じたんだよね」

アベル「ああ、分かるぜ。キャスターの主張があってもいいんだけど、それは“考え抜いた結果の意見”であるべきだよな。でも、今回はただ『新しい情報は出てこなかった』ってだけで、疑問を持つ人たちを陰謀論として片付けてる。それって、ちゃんと考えた上の結論じゃなくて、思考停止の結果じゃねえか?」

ジム「そうですね。ニュースは視聴者に考える材料を提供するものですが、『陰謀論』という言葉を使うことで、そのプロセスが省略され、議論の余地がなくなってしまう。これは報道の本質に関わる問題です。」

「だから、キャスターが意見を持つのはいいけど、ニュース番組で『陰謀論』という言葉を使うのはよくないと思うんだよね。だって、その言葉を使った瞬間に、科学的な検証をする思考が放棄されてしまう」

アベル「ほんとにな。陰謀論って言葉を使わないだけで、議論の質は全然変わるんだよ。『こういう主張があるけど、こういうデータがあるから俺はこう考える』って話してくれれば、納得できるんだけどな」

ジム「ええ。報道の役割は、視聴者が考えるための材料を提供することです。陰謀論という言葉を使うことで、その思考の機会が奪われてしまうのは、ニュースの在り方として再考すべき点かもしれません」

アベル「キャスターがもっと論理的に突き詰めて考えてくれたら、視聴者も“なるほど”って思えるんだよな。だからこそ、ニュースは感情的に煽るんじゃなくて、しっかり理詰めで話してほしいよな」

「うん。今回の話、ちょっとブログにまとめてみようかな」