法令例規支援ステム新規開発

概要

2005年1月〜2007年10月。

法令例規立案審査支援システムの新規開発を担当。法令の改正条文の自動生成、自動解析システム。

PJ体制と担当業務

親会社、自社、協力会社3社の構成。PJメンバ数は一番多い時期で約50名。

要件定義工程から参加し、システム全体の基本設計、自チーム担当機能(バックエンド)の設計・実装を担当。

サブチームリーダ担当(チームメンバー6名)。PJ終盤の要員縮小後はプロジェクトリーダ。

思い出

当初は先輩がリーダとして担当するフロントエンド側の機能を、いちメンバーとして担当する予定だったが、

たまたま飲み会で、バックエンド側の機能の担当者(親会社社員)が「仕様がわからない…」と

法令条文のコピーを見ながら頭を抱えていたのを

横から「面白そうですね」と覗き込んだことがきっかけで、いつのまにかその機能の担当者となってしまった。

そして、その機能の担当者として、コアメンバ(顧客含めて10名ほど)による全体インタフェースを検討する会議に参加することになったが、

毎回、議論が空中戦で、担当機能のインタフェースがいつまでも決まらなかったので、

議論を進めやすくするために全体データフロー図を作成して提示したところ、

いつのまにか全体インタフェース設計の主担当になってしまった。

多い時期でPJメンバが50名になるプロジェクトで、社会人2年目の若手が上述の流れでキーパーソンになってしまうプロジェクトなので、

この後は言わずもがなの炎上コースを辿り、

親会社から赤字を押し付けられそうになったり、

嫌気が差したPLがある日メンバーを引き連れて離脱したり、

上司が左遷されて、上司のいない不可思議な状態で後輩と取り残されたり、

etc..

色々あったけれど、最後は「また一緒にやろうね」と顧客と笑顔で言葉を交わして終えることができた。

社会人になって「システムエンジニアは性に合わないんじゃないか…」と悩んでいた頃に携わったPJだが、

その後もシステムエンジニアを続けたのは、

「どうすればこのプロジェクトを炎上させずに、最初から最後まで楽しいプロジェクトとして完遂することができただろうか」

という課題が自分の中に生まれたからである。